塾長の考え(生徒の実態)2
高校生または予備校生に、
私が直接的に初めて、
現代文の個別指導をしてみると、
毎回思うことの1つが、
「テキトーに読んでいるな…」
ということだ。
指示されたことがわからない。
設問に対して正確に反応できない。
というか、
そもそも課題文(本文)を、
まともに読んでいない。
テキトーな感じで読んで、
「だいたいこんな感じのはず」
と思い込んで疑わない。
意味の分からない単語が出てきても、
調べようともしない。
(面倒くさいから)
こんな感じの生徒がほとんど。
それが大学受験生の大多数の「実態」ならば、
学校(高校)の集団授業の現場では、
どんなことが起きているのだろうか?
「起きているのだろうか?」
と疑問形で書いてみたが、
実状は生徒によ~く聞いているから、
私はわかっている。
授業自体は悪くはないのだろうけれど、
(もちろん先生にもよるが…)
受け手側の生徒の理解度が、
教科担当の先生が思っているほどは、
高くない。(間違いない)
義務教育である中学校の授業でさえ、
「何を言っているかわからない」
「早口で言っているからついていけない」
「声が(小さくて)聞き取れない」
などの理由で、
「内容がよくわからない」
となっている生徒が多い。
それゆえ学習塾がこれだけ世の中に、
たくさん存在している。
学校の授業を補完する立場の塾が、
補習塾という機能を果たす。
学校の授業よりも高度な内容をする、
そんな学習塾は進学塾という立場だ。
補習塾でも進学塾でも、
そこが「集団授業」という形態をとる限り、
多数の生徒が「理解する」という、
機会を塾であっても損失する。
個人差(学力差)があるので、
損失率が0%の生徒もいれば、
損失率が100%の生徒もいる。
「おれは授業がうまいぜ!(笑)」
そう過信している塾講師は必ず存在し、
集団授業をやりたがるが、
その塾講師が思っているほどは、
塾生たちは理解できていない。
誰かが口頭で情報を伝達しても、
受け手側の力量でその情報は、
いかようにも変わる。
変形するのだ。
この「(情報の)変形」は避けられない。
よって、
集団授業は悪くはないが、
決していいとも言えない。
正解は…、
一見「個別指導」のように思えるが、
そう単純な話でもない。
生徒がわからないところを指導すれば、
「わかるようになる(可能性が高い)」
というだけで、
わかるようになっても、
「できるようになる」わけではない。
「わかる」ことと「できること」は、
イコールではないのだ。
ここが大事なところ。




