塾長の考え

無敗の法則11

成績が悪くなってから塾に来るのは、

 

具合が悪くなってから病院に行くのと同じだ。

 

普通の行為だ。

 

学校の成績が良ければ塾に行かなくても大丈夫だと考える保護者がいる。

 

それも普通の考えだ。

 

実際はそれでいいのだろうか?

 

前回までに話したとおり学校の役割と塾の役割は違う。

 

学校の授業の補完的な役割しかしない塾ならば、

 

それは「補習塾」というスタイルの学習塾だ。

 

これならば学校の授業について行って今何も問題がないように思えていて、

 

なおかつわが子が小学生か中学生。

 

これならば現時点で(補習)塾に行かなくてもいいだろうと思うのはわかる。

 

「痛みを感じたら病院に行けばいいじゃない」と考えることと同じだ。

 

痛みを感じていないのだから行く必要はないと思うのは当然だろう。

 

しかし、世の中にある塾は「補習塾」だけではない。

 

高レベルの学校に進学させようとするならば「進学塾」がある。

 

これは学校では授業数の関係上とても取り扱えないようなレベルの問題、

 

それを中心に据えて授業を進めていく塾のことである。

 

当然ながらわが子が小学生や中学生であれば、

 

その塾に行っている効果はあまり感じない。

 

学校の定期的なテスト程度では計れない力を有していても、

 

それに見合ったレベルのテストが学校で行われないのだから。

 

保護者が気づくことはない。

 

何も問題はないと勘違いするはずだ。

 

勘違いと言えば、私がちょうどそれにあてはまる「いい例」である。

 

私は自宅の近所の小学校に通っていたのだが、

 

学校のテストはどれもほとんど満点だった。

 

通信簿でも国語や算数や理科や社会は5段階評価の「5」だった。

 

当時は地元の中学校に進学すると「丸坊主」になる時代。

 

そうならないですむためにはどうしたらいいか?

 

私なりに出した結論、

 

それが「国立大学附属中学校に進学」だったのだ。

 

今の自分の学力で多分行けるはずだとは思っていたものの、

 

受験する前にどうにかしてそれを証明する方法はないのかなと思っていた。

 

そうしたところ小6の夏休みにある塾主催の公開模試が行われると聞いた。

 

「これだ!」

 

その塾に通っている友達のAくんに誘われて受験してみたのだが、

 

まるで歯が立たなかったことを覚えている。

 

まずもって知らない問題、見たことがない問題、

 

明らかに読みにくい国語の文章問題、

 

どうみても考え方が複雑で解けそうにない算数の問題。

 

何もかもが初めての経験でびっくりすることになった。

 

それでも誘ってくれた友達のAくんはそれらをスラスラと解き、

 

結果的には上位に名前を連ねるような優秀な成績を収めた。

 

私はビリではないものの見る気もしないくらい下の成績だった。

 

「これはいったいどういうことなのだろうか?」

 

学校の先生の言うことをしっかりと聞いていれば大丈夫。

 

学校の授業をしっかりと理解していけば大丈夫。

 

本格的な塾なんて行く必要はない。

 

学校は何のためにあると思っているの?

 

母親の言ったことをずっと信じて生きてきたのに、

 

それでは通用しない世界があることがわかった。

 

小学校の成績では友人Aくんと私は同じくらいの評価だった。

 

それは成績表でもそうだったし、

 

おそらくは担任の先生からの信用も。

 

「知らない」ということは恐ろしい。

 

私の母は「Aくんは頭がいいんだね~」の一言ですませた。

 

でも、自分は心底その言葉に納得いかなかった。

 

私も私の母親も何か「重要なこと」を知らないまま、

 

そのときまで「普通に」生きてきたのである。

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