ある高校の先生との会話で(前編)
「これは今までのうちの生徒たち(予備校生)の結果です」
「あ~、なるほど…」
こちらが作成した過去の予備校生(医学部受験生)の成績データを机の上に出して、
ある高校の先生の目の前に置いた。
しばらくの間、じ~っと資料を見つめていたその先生(女性)の肩書は、
「スーパーティーチャー」
こういった肩書を持っている先生たちが各高校にいる。
少数だが。
普通の先生のレベルではないと認定された人だけが、その称号(肩書)を名乗れるらしい。
スーパーティーチャーと呼ばれる人に直接会ったのは私は初めてだったが、
そのおかげで、ふっと2009年1月の出来事を思い出した。
そのときのセンター試験で764点を取れた予備校生(2浪目)のことだ。
話はいったんそのときからさらに約1年前にさかのぼる。
「あの~、センター試験で点数を取るなら北斗塾予備校さんがいいと聞いたのですが…」
「あ、そうですか。それはいい話ですね。でもうちは別にセンター試験に特化している予備校ではありませんよ」
「失礼しました、そうなんですね…、実は…今度2浪目になる息子がおりまして…」
話を聞いてみるとそのお母さんの息子さんは宮崎県内No.1の進学校のトップ学科の出身なのだが、
高校3年時の担任が「おい、もしも浪人して来年に医学部受験ならば、〇〇予備校がいいよ」
とその生徒に強く言ったらしい。しかも、
「もっと言えば、福岡ではなくて東京に行った方が良いよ、宮崎にはいい予備校が無いからね」
そういう風に勧めたらしい。
東京の大手予備校を勧めた実際の理由は「有名講師がいるから」。
果たしてその生徒はその後どうなったかと言うと、
1年間その東京の「〇〇予備校」のメディカル何とかという医学部医学科専門のコースに通ったとのこと。
そして、その結果がセンター試験で650点(900点満点)。
その点数では当然だが国立大学の医学部医学科にはまったくもって受からない。
というか、願書を出しても受験票がそもそも手元に来ない場合も多いという点数だ。
「受験すらできない」のだ。
その年のことだけだと(私は)思ったのだが、
聞けば地方から東京に出てきた生徒で彼の通っていた寮の生徒たちは、
医学部医学科を受験したが全員落ちたらしい。合格者は0だったとのこと。
「あの有名な〇〇予備校の医学部受験専門コースの生徒が全員落ちたんですか?」
「全員と言うか、地方から出てきた私らの子どもたちだけです」
「と言いますと?」
「東京出身の生徒は医学部に受かった生徒は何人かいるみたいです」
「ああ、そういうことでしたか。びっくりしました。でも…残念でしたね…」
後にうちの予備校に入学してきたその生徒に直接詳細を聞いてみると、
その生徒の顔つきが険しくなったがそれでも思い出しながら話してくれ始めた。
退寮する日にみんなで荷物を片付けていた時に寮のみんなで泣いたこと。
「あれ、おかしいな、何でかな…」
「あはは、俺もうまくできないよ、ははは…」
寮の中で荷造りするときにあふれ出る涙のせいで前が良く見えなくて、
たくさん買ったテキストをひもで結ぶことができなかったらしい。
仲良かった寮のみんなで泣きながら「うまく結べないよ~」と言って顔を見合わせて笑ったらしい。
男の子たちみんなでひもを結ぶのに苦労したと。
それが最後の思い出だと。
退寮の日の思い出だと。
夢を見て上京して言われるがまま購入した予備校のテキストだったけど、
(また来年受験するかもしれないから)捨てるにはもったいないからと言って、
地方から来たみんなで故郷に持って帰るために荷造りしたそうだ。
「お母さん、ごめんね…」
そう言った生徒がいて、みんなでまた泣いたと。
「やめろよ~、そういうのはさ~、やめろっ…て……」
そう言いながらみんなで泣いたと。
やっぱり男の子はそういうものなんだなと私は思った。
そして…その話を聞いて私も不覚にもその生徒の前で涙が出てきた。
それがその生徒との初めての出会いの日の思い出だ。
その時私は決意した。
次回は笑って涙が出る経験をさせてあげよう、と。
それから1年たって今、その生徒が764点という点数をとってきた。
「よし、これなら今年は医学部に受かることができるぞ、ここからだよ!」
そう私が言ったときにその生徒もにっこりと笑ってくれた。
「塾長、俺、今度こそ頑張って受かりたいです!」
「おう!」
ところが、数日後に私が予想もしない出来事が起こったのだ。
(続く)