塾長の考え

塾長の考え(集団授業の落とし穴)④

「高3になって数学の担任が替わって…」

「すごくわかるようになったんですよ」

「おかげで今だいぶん数学がわかります」

 

学校の先生いわゆる教科担当の先生。

1年ごとに替わるわけだが、

「あたり」と「はずれ」の先生がいて、

 

1.「あたり」の先生だと授業がよくわかる。

2.「はずれ」の先生だと授業がよくわからない。

 

事実、

塾長の中にはこのことを強調して、

必要以上に大騒ぎする人もいる。

 

だが、

あまり意味がない。

 

いい先生に恵まれるかどうか。

それは「運」的要素が強いため、

最初からそれはあてにしてはいけない。

 

それが常識。

 

私の高校時代を鑑みても、

本当にできる生徒たちは先生の質には、

左右されていない。

 

たんたんと自分で勉強していくだけ。

 

いい先生にあたったら、

大いにその先生の授業を活用。

 

よくない先生にあたったら、

その先生の授業をペース配分で利用。

 

いい先生に当たって、

「いい思いをしたい」

という考えはわからなくもないが、

 

そもそも世の中に出たら、

いい上司もいれば、

わるい上司もいるだろう。

 

いい先輩もいれば、

わるい先輩もいるだろう。

 

それが世の中の実相だ。

 

「授業」の質でわが理解度が左右される戦略で、

全国大会である大学受験を目指すという発想は、

お粗末と言わざるを得ない。

 

だいたい授業でわかる必要はなく、

教科書や教科書ガイド、

参考書や問題集。

youtube(ユーチューブ)などの映像授業、

ネットの検索、

chatGPT(AI)の活用による学習。

 

今は何でも「モノ」がそろっており、

「理解」することに不自由なことはない。

 

新しい内容であっても容易に理解できる。

 

自学自習ができる世の中に成熟しているのだ。

 

それなのに、

「学校の授業がわからなくて…」

という不満を言ってくる生徒はハッキリ言って、

 

時代がずれている。

 

もちろんそういった言葉が出てきても、

生徒自身を責めたりはしない。

ただ単に考え方が時代錯誤だということを、

ていねいに教えるだけのこと。

 

同様に、

大手予備校の場合は自校の講師が商品なので、

必要以上に、

「一流予備校講師」

「超人気講師」

などといったフレーズを戦略的に使いまわし、

 

それに感化された生徒なども、

「〇〇の日本史」はおすすめです。

「△△の英語」は絶対に外せない。

 

などと平気でしゃべる。

 

この「〇〇」とか「△△」には、

予備校講師の名字が挿入される。

 

正直言って、

この表現は個人的に気持ち悪い。

 

だれかの「日本史」とか、

だれかの「英語」とか、

そんなものあるのかと思う。

 

講義を受講したり、

著書を熟読したりしてみると、

工夫をしている点ですばらしいけれど、

それは他の参考書でもいっしょのこと。

 

予備校の宣伝戦略におどらされている。

 

「授業」はわからなくても大丈夫。

「参考書」を読めばふつうに解決するから。

 

「すごい授業」「神授業」など、

一切なくても困らない。

 

(続く)

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