塾長の考え(自立心とは)①
「勉強なんてしたくないです…」
そう言ってきたのはSくん。
「自立心」は…ほぼない。
別の先生に担当してもらっていたが、
最近になって私が少し見ることになった。
「何で勉強なんかしないといけないんですか?」
そうも言う。
私が黙って聞いていると、
いろいろと彼の主張が出てくる。
「やってもやってもできるようになる気がしない」
「別に将来やりたいこともない」
「ゲームが毎日できればそれで幸せだ」
「本なんか読みたくない」
「本を読んで何がおもしろいんですか?」
親御さんに経済力があって、
好きな(かっこいい)服を買ってもらい、
おいしいものや好きなものを食べて、
休日になれば旅行にも家族で出かける。
何不自由のない快適な生活ができている。
そして何時間も毎日ゲームをして楽しむ。
そういう楽しい現実があるのに、
塾に来て勉強をするということは、
苦痛でしかない。楽しくない。続けたくない。
勉強ができなくて注意されるくらいなら、
講師から厳しく指導されるくらいなら、
何もかもやめたいし、
死んだ方がましだとも言う。
あげくのはてには、母親に向かって、
「生きていたくない」
「何でぼくを産んだの?」
と言ったらしい。
さて、
このような生徒が塾生として出てきた場合、
(いや、実際に出てきているのだが…)
塾講師としてどうしたらいいのだろうか?
塾長としてどうしたらいいのだろうか?
あまたある学習塾やそこの塾講師たちの中で、
彼を「自覚」させて、
「やる気」を出させて、
勉強することをゲームよりも好きにさせる。
さらには数年以内に、
有名私立大学か難関国立大学に合格させる。
そんな「離れ業(わざ)」が可能だろうか?
それが実際にできるかどうかはわからない。
しかし、
そういう生徒が目の前にいたからといって、
「ギブアップ!」
「もうおまえなんかどうでもいい!」
と思ったり言ったりするのがプロの塾講師だろうか。
結果は出ないかもしれない。
彼自身を良くすることはできないかもしれない。
それでも、
「先生のところを信じて入塾させました」
そのお父さんのセリフが忘れられない。
どうにかして役に立ちたい。
力は及ばないかもしれないが、
その生徒と向き合って指導をしていこうと、
最近あらためて決心をした。
結局のところ、
個別指導とはその生徒とどれだけ向き合うか。
そして、
もしも彼の中の何かが変わるとすれば、
そのときは講師の「想い」しかないだろう。
そう思っている。
(続く)