塾長の考え(生徒の実態)1
学習塾が求められていること。
それは、
★成績を上げること
私はそう信じて、
学習塾を開業した。
(1993年3月)
※このとき私は22歳
だが、
本当に求められていることは、
(成績向上後の)志望校合格。
これを痛感したのは、
開業して1年後、
県立高校の合格発表のとき。
受験時には中学3年生が18人。
そのうち3人が県立高校には、
合格できなかった。
「大変なことになった…」
当時の私はそう思い、
その後の10年間くらいは、
ずっとそのことが、
県立高校の入試時期になると、
昨日のように思い出された。
「あんな思いはしたくない!」
そして今、
塾長としては33年目になる。
今の私は当時とどう違うのか?
どこが「進歩」して、
どの程度「向上」したのか?
北斗塾は「発展」したのか?
時々そんなことを考える。
当時(開業時)と比較して、
大きく違うことの1つは、
塾の指導形態だ。
当時(1993~1994)は、
バリバリの集団授業塾。
黒板を背にして、
「俺の授業についてこい!」
「必ず成績は上げてみせる!」
「県立高校合格は任せておけ!」
そんな意気込みでやっていた。
若くて血気盛んな時期だったから、
授業中、生徒たちに檄を飛ばす。
生徒たちもそれに呼応して、
よく頑張ってくれた。
生徒の方も、
中学3年生にもなると、
「22時30分終了」
この決まりを守る生徒は少なく、
親御さんたちが30分から、
1時間くらいは車で待機。
生徒が帰るころには、
(スマホがない時代なので)
ほとんどの親御さんが車中で、
寝ていた。(笑)
だいぶん迷惑をかけた。(苦笑)
それでも当時の親御さんたちは、
ほとんど好意的に見てくれた。
「いつもありがとうございます」
「遅くまですみません」
「よろしくお願いします」
そんな親御さんたちのおかげで、
深夜0時をまわるときも、
ちらほら。(苦笑)
若いということは、
そういうことなのだ。(苦笑)
集団授業は大好きだった。
みなの前で話して、
生徒の「わかった!」という、
笑顔。
それが私には大好物だった。
でも、
一部の生徒は無表情。
「何を言っているんだろう」
「わかんねぇな~」
「早く終わらないかな…」
そういう心境だったはず。
生徒間に学力差がある中で、
集団授業をすれば、
動物の生態系に、
弱者と強者が存在するように、
生徒間に「差」が生じる。
それが成績不振の原因となり、
生徒はやる気を失っていく。
教える内容が的確でも、
受け手の学力もあるので、
必ずおかしなことが起きる。
それが集団授業だ。




