塾長の考え

塾長の考え(父親)③(終)

夏のある日に実家の電話が鳴った。

いや、実家の電話ではない。

父親の携帯電話が鳴った。

父親のセリフだけ羅列すると、

「はい、もしもし?」

「お~、どうしたの~」

「元気にしていたね?」

「え、こっち?」

「ちょうど今出てきたところよ」

(「え、どこから出てきたって話?)」

(「ずっとリビングにいるじゃん…」)

「棺桶(かんおけ)よ、棺桶!」

「あ~はっはっは」

「いやいや本当だって(笑)」

「狭いけどね、これが快適快適(笑)」

「ブランドものだから、ブランド!」

「意外と涼しいんだよ~中はね」

「あんたも時々入ったらいいよ」

「あの世とこの世を行ったり来たり…」

「いや~、ははははは」

(「こ、これがうちの親父!?」)

 

私自身のユーモアについては、

素質的には完全に母親譲りで、

自分自身のオリジナル性もあるぞと、

32歳になるまでひそかに思っていた。

どうやら…、

父親+母親の両方の遺伝子から、

受けついでいたようだ。

それが今の自分なのだと認識した。

 

塾長になってからは特に、

塾生が全員帰ったころになると、

「今ちょうど仕事の帰りだよ」

と(ウソを)言って(夜の11時!)、

塾の現場にやって来ては、

しばしおしゃべりをしてから帰宅。

そんなことが多かったね。

 

ずっと心配してくれていたのは、

父親も母親も同じだった。

何せ22歳で独立した息子だから。

世間知らずのまま独立した息子だから。

不安でしょうがなかったのだろう。

 

塾生の保護者との面談の中で、

毎回何度も何度も思わされる。

どれだけ親がわが子のことを、

第一に考えているか。

大切に考えているか。

一生懸命に育ててきたか。

 

先日も国公立大学の前期試験の、

合格発表があったが、

今年も100%全員合格とは、

ならなかった。

塾内の合格者掲示の場所には、

例年よりも数多く合格者の名前が、

張り出されているが、

1人でも不合格者がいたらもうダメ。

私自身は落ちた生徒のことを思うと、

手放しで他の生徒の合格を喜べない。

全力で喜べない。

30年間ずっと同じだ。

ずっと変わらない。

これが自分の性格なのだろう。

たった1人でも不合格者が出れば、

もう反省材料の山積みなのだ。

 

大切なわが子の代わりはいない。

期待されてそれに応えられないこと。

生徒本人が一番つらいだろうが、

指導者であるこちらだって辛い。

 

「(このまま)生きててもいいの?」

と聞いてきた病床の父親は、

結局のところ、

今の自分のことよりも、

自分のせいで金銭的に負担が、

息子にかかっていると思えばこそ、

本心からしぼり出てきたセリフ。

 

親という存在はわが子に対して、

いったいどれくらい、

いったいどこまで、

いったいいつまで、

想いを寄せ続ける存在なのだろうか。

 

あらためて自分がやっている仕事は、

親御さんたちの「わが子」、

大切な「わが子」の将来がかかっている、

重要な仕事なのだと再認識させられる。

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