塾長の考え

塾長の考え(塾)その7

「自立心」を育むにはいつから?

 

それは早ければ早いほど良い。

理想は小学生のときからである。

「鉄は熱いうちに打て」

ということわざ通りである。

高校3年生の生徒が自立型の指導を、

受けても大学受験まで1年間もない。

年が明けたらすぐに共通テストがある。

基礎学力が乏しい状態で塾に来る、

そのような生徒が多いので、

その場合には、

学力向上のために「教える」という、

直線的な指導が急務となる。

足し算的指導が中心となるため、

やるべきことが直接的なものばかりだ。

例えば覚えるべきことを覚える。

抜けているところをその場で補強する。

模擬試験の過去問で課題を発見する。

その課題を克服するための補習に、

塾では日々明け暮れる。

その結果本番までに間に合えば、

それでいいじゃないか、

そう考える生徒とその親御さんたち。

 

でも、本当にそれでいいのだろうか?

 

わが子が小学生の時から塾通いさせる、

そういう親御さんたちがいる。

その目的は何か?

それは究極的にはわが子の「幸せ」

そういうことになる。

具体的に言えば、

わが子が大学にいずれ進学する時に、

「自分で選択できる道がいくつもある」

この状態に導いてあげたい、

そのために塾に入れて送迎する。

しかしながら、

わが子は小学生時にはそんな先のこと、

いわゆる自分の未来に関しては、

明確でないことが多いし、

覚悟も決まっていない。

中学受験という目標を立てているようで、

実際は大好きな母親の笑顔が見たくて、

母親から褒めてほしくて勉強を頑張る、

それがほとんどの子の真実。

中学受験で合格したらなぜ嬉しいのか?

それはわが母親が喜んでくれるから!

と、ここまではいい。

問題はここから先である。

私の母親はよく知人に、

「(子どもが)小学生のときが花よ!」

と言っていた。

自分が子ども時代のときは、

ずっとこのセリフの意味がわからなかった。

このセリフからわかることの1つに、

わが子といえども、

小学生であるか中学生であるかによって、

母親の存在意義が変化するということ、

それがわかる。

小学生にとってわが母親の笑顔は、

何ものにも代えがたい。

金メダルなのだ。

そんなわが子の一生の方向性が決まる、

それが「大学受験」である。

そこに向かって親としての子育てという、

「戦い」は終わらない。

続いていくのである。

わが子にとって長い人生を生きていく、

そのときに頼れるのは「学力」である。

お金を残すのではなく、

教育という資産を残してあげられるか。

そこが子育ての最終的な評価であり、

実績となる。

教育とは「教える」だけではダメ。

「育てる」という要素が必要だ。

「育てる」という行為は時間がかかる。

直線的ではなくて曲線的な接し方が、

必要であり効果的だ。

そのような教育ができる場所に、

出合えるかどうか、

そのような教育者に、

出会えるかどうか。

それがその子の運なのだ。

 

(続く)

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