塾長の考え(徳川家康の遺訓)
かつて私の家の壁にある言葉が掲げてあった。
父親がどこかの土産で買ってきたのか、
それとも誰かにもらったのか、
それはわからないけれども。
それは、
「徳川家康の遺訓」である。
子ども(9才)のときに気づいたのだが、
そのときは何とも思わなかった。
何なら高校生になったときにも、
何とも思わなかったと今なら正直に言える。
言葉としては知っていても、
わたしがその重みを「理解」するには、
30年以上の年月が必要だったのかもしれない。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、
負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
(現代語訳)
人の一生というものは、
重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。
急いではいけない。
不自由があたりまえだと考えれば、
不満は生じないものだ。
心に欲が生じたときには、
苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、
怒りの感情は敵だと思いなさい。
勝つことばかり経験して、
負けることを経験してないことは危険なことである。
自分の行動について反省し、
人に原因があると責めてはいけない。
足りないことのほうが、
やり過ぎていることよりは優れているのだ。
本当に深く納得するレベルに達するには、
もう30年くらい必要なのかもしれない、
そう思ったしだい。